鹿賀丈史(かがたけし)が【行列】で料理を食す!伝説の『料理の鉄人』ってどんな番組だった?出演者は?

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こんにちわ、Tanaです。

鹿賀丈史(かがたけし)さんが【行列のできる相談所】に出演されます、
鹿賀丈史(かがたけし)さんと言えば、ドラマに舞台に大活躍の大物俳優さんで
いらっしゃることはみなさんご存じかと思いますが、かつて【料理の鉄人】という番組の
司会をされていたことでも有名なんです。

この【料理の鉄人】という番組は、料理人同士の対決」をリアルに行い、勝敗を決める
という、後にも先にもない、緊張感のある番組でした。
今回はこの伝説のTV番組【料理の鉄人】に出演し、腕を競い、磨いていた料理人の方々について調べてみました。

一緒にみていきましょう!

伝説の番組【料理の鉄人】

『料理の鉄人』(りょうりのてつじん)は、1993年10月10日から1999年9月24日までフジテレビ系列などで放送されていた料理をテーマとしたバラエティ番組でした。

  • 放送期間 1993年10月10日 – 1994年3月27日(日曜日) 
  • 放送期間 1994年4月8日 – 1999年9月24日(金曜日)
  • 出演者 鹿賀丈史、福井謙二、服部幸應、太田真一郎、鉄人

【番組のコンセプト】
「鉄人」と呼ばれるレギュラー出演者のシェフ達「挑戦者」として登場する毎回
異なるゲストシェフが、特別キッチンで調理した料理を、ゲストやレギュラーの
審査員に試食して審査をしてもらって勝敗を競います

「挑戦者」「鉄人」の中から一人を対戦相手に選んで挑戦します

③テーマの食材は、主宰(鹿賀丈史さん)がテーブルに掛けられた布を取り、
当日、発表されます。
そして主宰(鹿賀丈史さん)が「アレ・キュイジーヌ!」(フランス語で
「行け!料理!」→「料理始め!」の意)」と、高らかに試合開始を宣言

④発表された食材を使い、制限時間(通常は60分間)内に調理をします

⑤料理状況を実況しつつ、残り時間もアナウンスされ、すべての調理を盛付けを含めて
制限時間内に終わらせます(助手が2人付く)

⑥調理が終わると審査員(当初3人、1995年10月より4人)による採点が行われます。
(主宰は試食には参加するが、採点は行ないません)

【料理の鉄人】のおもな出演者(鉄人たち)

中華の鉄人 陳建一(ちん けんいち)

・鉄人在任期間…1993年10月 – 2002年1月
・対戦成績…94戦68勝23敗3分 連勝記録19 勝率72.3%

「赤坂四川飯店」総料理長兼「四川飯店グループ(民権企業株式会社)」代表取締役(当時)。
コスチュームカラーは黄色、登場時は手に中華包丁を持っていました。
四川料理を日本で広めた陳建民の息子。1990年、建民の逝去に伴い、受け継ぐ形で赤坂四川飯店の二代目のオーナーになる。
番組開始時から最終回まで後任に交代することなく出演した唯一の鉄人であり、当然全鉄人中最多出場回数を持つ。最終回では全鉄人を代表してスピーチを担当した。
最年少だった番組最初期は不安定で、番組で初めて黒星を喫したのを始め、負け数が他の鉄人よりもかなり多く、挑戦者間では「確実に勝つなら陳」とまで言われたこともあった(毎回鉄人が勝つのは面白くないという事で、負け役の鉄人としてあえて選ばれたとも言われている)

2023年3月11日に67歳で逝去。

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2023年3月11日に67歳で逝去された陳建一(ちん けんいち)さん。
言わずと知れた中華の有名シェフですが、番組当初はまだ若かったんですね。
このため、挑戦者に負けることが多くありました。
また、女性の挑戦者には少々危なっかしい試合をして負けることもあったそうです。
しかし時とともに経験値を上げて、1996年には17連勝を記録しました。
そしてこれは誰にも抜かれていない番組の最長連勝記録なんです。
鉄人として出演したものの、挑戦者に負けるのはプライドも傷つき、辛かったのではないかと
想像できます。
が、17連勝も記録できる強い鉄人になり、中華の鉄人の座も誰にも譲らなかったからこそ、
番組が終わってからの輝きがさらに増したのかもしれませんね。

私も訃報を聞いたときはとても残念に思いました。
陳建一(ちん けんいち)さんの麻婆豆腐が大好きです!
番組全盛期の中心を担った三鉄人(陳健一さん・道場六三郎さん・坂井宏行さん)の中では
最も早く故人となったため、道場六三郎さん・坂井宏行さん、主宰役として出演した鹿賀丈史
さんもコメントを発表し追悼されたそうです。

フレンチの鉄人(2代目)坂井宏行(さかい ひろゆき)
・鉄人在任期間…1994年2月 – 2002年1月
・対戦成績…87戦70勝16敗1分 連勝記録8(3回達成)[注 10] 勝率80.4%
渋谷「ラ・ロシェル」オーナーシェフ。初代フレンチの石鍋裕(いしなべ ゆたか)
とは旧知の間柄。
番組では「フランス料理界のドラクロワ」と称されている。
コスチューム(コックコート)カラーは赤、登場時は手に洋梨を持っていました。
鉄人デビューは1994年2月。KIHACHIの熊谷喜八シェフの推薦によって出演することになる。
番組を長く支えた鉄人の1人でもある。
全鉄人中最多勝利数を記録し番組の全期間を通して安定した成績を残し、10連勝以上
こそなかったものの5連勝以上は全鉄人中最多の7回記録している。
テーマ食材にフランス料理によく使われるオマールがくると3連敗を喫した事もあった
ために、スタッフからは「負け犬オマール」や「そんなにオマールに弱いの?」と嫌味を
言われ悔しかった時期があったという。しかし、オマール以外の魚介類の対決では圧倒的な強さを見せ、「フィッシュ坂井」の異名もあった。

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渋谷「ラ・ロシェル」といえば、超有名、かつ高級はフレンチレストランです。
今は都内に3店舗展開されていますね。
陳健一さんと同様、番組内で負けては悔しい思いをされたことも多々あったようですね。
現在も「ラ・ロシェル」のオーナーシェフをされ、現役の料理人として大活躍されています。

和の鉄人(初代)道場六三郎(みちば ろくさぶろう)
・鉄人在任期間…1993年10月 – 1996年1月
・対戦成績…39戦33勝5敗1分 連勝記録11 通算勝率84.6%(現役時代の勝率は87.1%
番組開始当時は銀座「ろくさん亭」主人。コスチュームカラーは青。
現役時代の対戦成績は27勝3敗1分と勝率9割に迫り、圧倒的な強さを誇った。番組内の公式見解をはじめ、誰もが認める全鉄人の中の最強鉄人であった。
和食の料理人でありながらジャンルにとらわれない料理を生み出し、「日本料理界の
異端児」と称された。
「出汁(だし)は1品だけなら持込可」というルールがあったにもかかわらず、常に対決
開始時に作っていた。この鰹節、昆布をふんだんに使った出汁は福井アナに『命の出汁』
と名づけられ、その作成シーンがお品書きを書くシーンと並んで道場出演時の序盤で
必ず流されていた。

oricon.co.jp/news/2105546/full/

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当時、最高齢(62歳)だった道場六三郎(みちば ろくさぶろう)さん。
が、和食の異端児と呼ばれるほど、次々とジャンルにとらわれない料理を生み出していたなんて
ずっと挑戦されながらも挑戦し続けていたんですね。料理人魂というものを感じます。
番組出演の傍ら港区赤坂に「ブラッセリー六三郎」を開店したほか、2001年には銀座にもう一軒
の店「懐食みちば」をオープンしてたとか。多忙なスケジュールの中、この『料理の鉄人』でも
プライドをかけて出演されていたんですね。
現在、92歳!歴代の鉄人の中でも最年長かつ最長寿ですね。

このほかにも
フレンチの鉄人 初代:石鍋裕(いしなべ ゆたか)
鉄人在任期間…1993年10月 – 1994年1月
対戦成績…8戦7勝1敗 連勝記録4 通算勝率87.5%(現役時代の勝率は80.0%)
和食の鉄人 二代目:中村孝明(なかむら こうめい)
鉄人在任期間…1996年3月 – 1998年2月
対戦成績…37戦24勝11敗1分1無効試合 連勝記録6 勝率64.8%
番組登場時は「なだ万」理事
和食の鉄人 三代目:森本正治(もりもと まさはる)
鉄人在任期間…1998年2月 – 2002年1月
対戦成績…26戦17勝8敗1分 連勝記録3 勝率65.3%
イタリアンの鉄人 神戸勝彦(こうべ まさひこ)
鉄人在任期間…1997年6月 – 2002年1月
対戦成績…23戦15勝7敗1分 連勝記録4 勝率65.2%
が、参戦していました。

まとめ

今回は『行列のできる法律相談所』にあの伝説のTV番組の司会をした、鹿賀丈史さんが
番組さながらに出演されるということで、懐かしい番組について調べてみました。
当時まだまだ料理人の方々の地位や名声がそれほど日本では取り上げられていませんでした。
そんな時代の中でのこの【料理の鉄人】という番組は料理人の地位を上げ、世に知らしめたと
言っても過言ではない素晴らしい番組だったのではないでしょうか。

【料理の鉄人】の出演された皆様を同じ日本人として誇りに思います。

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